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本日、2月24日にセブ憲章記念日
=設立記念日を迎えるセブシティは、
1565年に冒険家のマゼランが上陸したことで、
歴史の表舞台に出てきたわけですが、
実はそれ以前も漁村としてのみならず、
中国等と貿易を行う拠点だったらしい・・
セブの部族長ラジャ・フマボン王は、
マゼラン隊のスペインを受け入れ、
家来数百名とともに洗礼の儀式を受け、
キリスト教徒となった記念すべき場所に、
マゼランクロスの十字架が建てられている。
まさにこの地からフィリピン各地へ広まり、
国民の80%がクリスチャンと言う国家となり、
マゼランクロスの場所は聖地となり、
フィリピン各地から信者たちが集まり、
絶え間なく祈りやロウソクが捧げられている。
その隣にはサントニーニョ教会があり、
フマボン王とその妻に贈られた、
幼きキリスト像サントニーニョの、
現物が祀られている事で有名な教会で、
2度の火災や戦時中にも像は無傷で、
奇跡の守り神として信仰がさらに深まる!
セブとは友好関係を結んだマゼランは、
隣のマクタン島の部族長ダト・ラプラプ王と、
戦いの末に戦死してしまう・・
当時アジア人がはじめてヨーロッパ人らに、
勝利すると言う歴史的大事件だった!!!
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44年後の1565年に総督レガスピが、
リベンジでやっくるわけだが、
その後333年も統治されてしまう・・
実は統治開始の6~7年ほどは、
セブがフィリピンの首都であったが、
その後マニラへと移転しまう・・
そんな歴史的背景があるからか?
またはマニラのタガログ語よりも、
セブのビサヤ語をはなす人口が多いからか?
いまでもセブが起源だと言うプライドで、
タガログ語を使いたがらないセブ人は、
マニラの人よりも英語が得意であるw
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そして『南の女王都市』としての自負が、
非常に感じられる地域でもあります。
そんなセブの現在は観光をはじめ、
ビジネス プロセス アウトソーシング (BPO)、
家具製造、特に国内海運会社の約80%が、
セブに拠点を置いているらしい・・
セブ市の人口も 1950 年のわずか約18万人から、
2024 年には104万人にまで急増~
セブ州全体でみると300万人越え!!
今後も益々発展する都市で、
魅力があることは間違いありません・・
と同時に都市問題も大きな課題・・
今日はセブ市がお休み、皆で考えましょう
教訓:渋滞や犯罪の無い都市とは・・
現場からは以上です!
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